IDEN Lab

Observation, Experiments, Discoveries....

2022年標語


“継続”

新年明けましておめでとうございます。標語も24回目になりました。
今年の標語は「継続」です。

始めた研究を「継続」して掘れるだけ掘り下げる。幸い、私たちが研究の対象にしている生物は、遺伝子、タンパク質、代謝産物に至るまで長い時間をかけて洗練され残ってきた有機物から成り立っているので、どの分子をとっても国宝級、世界遺産級です。これを相手にして面白くないわけがありません。面白くないとしたら、まだまだその分子との付き合いが足りないと思っています。
「継続」は標語「制約」「初心」の続きです。「制約」に関しては、昨年の学内広報no.1550の淡青評論にも書きました。

”制約からの発見”

https://www.u-tokyo.ac.jp/gen03/kouhou/1550/end.html


「制約」して「継続」とはなかなかストイックですが、自分の味を出すにはこれしかないのではないでしょうか。
大岡信 「肉眼の思想」中公文庫 p55 から
うますぎると人に感じさせる作家が、つねにある種の二流性を脱しきれないのも、たぶんそのことと関係がある。夏目漱石が大正五年、死の直前に芥川、久米の二人の弟子に送った手紙の一つで与えている次の教訓は、小説を書く仕事の本質を正確に語っている言葉として記憶されるに値しよう。
「牛になる事はどうしても必要です。吾々はとかく馬になりたがるが、牛には中々なり切れないです。僕のやうな老獪なものでも、只今牛と馬とつがって孕める事ある相の子位な程度のものです。(中略)根気づくでお出でない。世の中は根気の前に頭を下げる事を知ってゐますが、火花の前には一瞬の記憶しか与えて呉れません」

大岡さんも「継続」の人です。朝日新聞に毎日「折々のうた」を47歳(昭和54年)から76歳(平成19年)まで続け(6762回)、日本の詩歌を紹介しました。絶です。

現代美術の宇佐美圭司さんは美術家としての初期から晩年に至るまで繰り返し同じモチーフを使った作品を作制しました。宇佐美さんは決まったモチーフを用いた壁画を中央食堂に1977年「きずな」と題して描きました。私は毎日のように誰の作品とも知らずに、タンメンか赤門ラーメンを食べながら眺めていました。しかし、この壁画は、中央食堂改修に伴って2017年9月14日に廃棄されてしまいました。このことが大きなニュースになったことで作者が宇佐美さんだったと知ったわけです。以来、宇佐美さんがとても気になる人になりました。まず、宇佐美さんの「二○世期美術」岩波新書(1994年)を読んで引かれました。宇佐美さんが国立(たぶん、多摩蘭坂に近いところだったと思われる)でアトリエを構え創作を始めたのにも親近感がわきました。

Pasted Graphic


宇佐美さんは1965年「ライフ」誌に掲載されたロサンゼルスのワッツ暴動の写真に注目しました。暴動に加わった人たちは、勝手に行動しているようで、運動が同期しているようでもある。これを人型(かがむ人、たじろぐ人、走る人、投げる人の4人)として絵画に使うようになりました(人型シリーズ)。この人型には頭部がなく、匿名性が強調されています。宇佐美さんは「それら[人型]を扱う基本的な方法は、一つの人型の輪郭が、そのラインを閉ざしてしまうことを防ぐために、何らかの形で他の人型や外形と関連づけ、空間の内部、外部の相互性の種々な相をあばき出すことになった」と述べています(美術手帖299, p.144, 1968;加治屋健司編「よみがえる画家 宇佐美圭司」東大出版会2021, p.45)。そして1965年(宇佐美さん25歳)からこの方法での作品を継続して作成し発表するようになりました。1966年に南画廊で人型シリーズの個展を開き、1968年には同じく南画廊でレーザー装置を使った<Laser: Beam: Joint>を発表。レーザー光線でアクリルの人型を繋いだ作品です。1971年には<ゴースト・プラン>シリーズを南画廊で発表します。そして1977年に描かれた<きずな>は1971年の<ゴースト・プランNo.2>と同じ構図で描かれました。宇佐美さんの人型シリーズは晩年2011-2012年の<制動・大洪水>にも登場しています。
宇佐美圭司「デュシャン」岩波1984, p.194から
絵画は見えるものを表現する一つの形式であった。しかし、形式の中で生きている私たちは逆に形式によってものが見えるようになる。いやむしろ形式以外の見え方を失くしてしまうのだ。(中略)私は私にとり付いて離れない「形式」から身をふりほどこうと虚空を見つめる。
宇佐美さんは繰り返しの人型シリーズ絵画試行錯誤の中で「もの」を表現する絵から「こと」を表現する方法はないのかを探っていたのでしょう。日本人は「もの」作り(獲り)には長けているが「こと」(現象)を作り出すことは得意ではなく、これは科学でも当てはまる気がします。得意分野を伸ばすか、不得意分野の克服を目指すか。どちらにしても「継続」しないと気持ちが定まりません。
「継続」するには近い「目標」と遠い「目標」とが必要です。「目標」についてイチローは20代から30代になったときのインタビューで面白いことをいっています(石田雄太「イチロー・インタビューズ」文春新書 2010, p.137から)。
一切のムダを削ぎ落とした20代。彼が得たものは大きかっただろう。しかし、同時に失ったものもあった。そういうものを30代に取り戻したいという思いが、無意識のうちにイチローの中に芽生えているような気がしてならない。
イチロー「ああ、考えてみると、確かにそういうところ、ありますね。野球にしてもそうなんですよ。最後に目標にしているのは、あの子どもの時の感覚なんですよね、たぶん...」。
ただ野球が楽しかった、あの子どもの頃の感覚に辿り着くまで、イチローの野球へのモチベーションは下がることはないのだ。
このイチローの遠い「目標」はまさに「初心」のことだとピンと来ました。昨年の還暦の会でも遺伝同門の皆さんとオンラインで会いましたが、皆さんが変わらないのは「初心」の「継続」がされているからなんですね。まずは近い「目標」に「制約」して「継続」していきましょう。


2021年標語


“初心”



新年明けましておめでとうございます。
2021年の標語は「初心」です。

藤井聡太も今年の抱負で使ったこの言葉を私が聞いたのは、1979年の東京都立大学入学式でした。沼田稲次郎総長が世阿弥の言葉として「初心忘るべからず」を紹介しました。このような式典の挨拶はことごとく忘れていますが、なぜかこの言葉は覚えています。私は還暦なので仕切り直しの年で初心ですが、皆さんもこれから迎える2021年の変化に初心を感じるのではないかと思います。
初心が一番湧き上がるのは3~4月。OGの古藤さんが「小学の時に新しい教科書を手にした時のワクワクした気持ちがたまらなかった」、といっていましたが、私もそれを聞いて同じ感覚を思い出しました。中学あたりから生物の勉強がしたいと思っていて、そのためには高校では違うことをやって備えようと物理化学選択をしていたので、都立大の理学部生物に入った時には、これでやっと生物にどっぷりと浸かれるという喜びにあふれていました。その喜びは、京都の学会で遺伝のメンバーと炎天下を歩いて喉カラカラでたどり着いた先斗町で飲んだビールのうまさに似た感覚か。微分積分学の講義で鶴見茂先生が「準備のための勉強は身につかない。今必要なことを集中してやるのがよい。必要がでたら、それはその時からで十分に身に付く」とおっしゃいました。高校での物理化学選択はなんら足しにならなかったことを思い、それから学習方針を変えました。2021年は、目の前の必要な研究を深く深く掘っていきましょう。とても狭い自分の研究テーマの1点に関して、1)世界で一番知っている人になること、2)どこからでもかかってこい、と自信(勘違いでもいい)をもつこと、が専門家になる一歩だと思います。それをすることで初めて違う風景が少し見えてきます。


昨年の標語[写生]は「うつす」ことを念頭にしていました。「初心」の今年は生物研究の成果を論文として表現(うつす)する上で用いる言葉について脱線しながら書きたいと思います。日本人が英語の論文を書くときに、
1、初めから英語で考えて書く派
2、日本語で書いてから英語にする派
の2つのスタイルがあります。駆け出しの頃は、修練の意味もあって1で書いていたのですが、最近は2のスタイルがしっくりきます。この違いは研究内容の変化にも大きく依存していて、分析的な仕事をまとめるのは1、現象に解釈をつける仕事は2、といったおおまかな分け方が可能です。そもそも、研究の計画を立てるときには日本語で考えますが、日本語vs英語でそれほど違和感のないことを考えるのが1、和風な思考が大きく入ってくるのが2とも言えます。
それでは英語と日本語はどこが違うのでしょうか。
大岡信は「詩人 菅原道眞」のp11から日本語の発明について書いています。
日本語は平安の発明である。
平仮名:漢字の草体を簡略化した日本製の文字記号
片仮名:漢字のある局部だけを漢字体から切り離して独立させ、音標文字化した日本製の文字記号
どちらも漢字の「移し」
漢字、平仮名、片仮名の三種類もの文字表記を混合使用する言語はない。

数学者の野口潤次郎が「岡潔博士の数学研究と日本文化」の p29あたりから面白いことを書いています。
https://www.ms.u-tokyo.ac.jp/~noguchi/oka/hashimoto-oka-lect.pdf

(1) 表意文字: 権威がある。りっぱである。知っていることに価値。→権威主義
(2) 表音文字: 勝手なことが言える。姿・形を表現しやすい。表現の濃淡を付けやすい。→オリジナリティーに価値をおく。
ヨーロッパは、表音文字による(2) の文化・文明であると思います。シナ大陸は、(1) の文化・文明です。日本は、仮名漢字交ぜ書き文化・文明で中間 (1)+(2)/2ぐらいではと思います。明治維新に民間で起こった「言文一致」というのが日本の文化を更にぐっと(2) へ動かしたと思います。


生物研究者として、生物がやっていることを実験をして生物から聞き取ろうとしているのですが、その場面で使っているのが日本語です。日本人は表意文字から表音文字を発明して、表意・表音の混合で日本語を作ってきましたので、欧米人とは異なる見方で生命現象の面白さを感じることはありそうです。
科学が得意とする要素に分ける解析方法は、文章(対象物)を表音文字(要素)にまで分解し、また再構築する過程に例えられないでしょうか。生物が使っている文字として遺伝子DNAの塩基配列があります。ACGTとアルファベットで書ける表音文字です。これをある決まりに従って並べると発現ベクターが作れます。DNA文字列を細胞に入れるとタンパク質が発現して細胞応答という文章が生まれます。

  1. プロモーター、ORFに翻訳開始終始配列、polyA付加シグナルをつける。

2、これに大腸菌で増やせるoriと薬剤耐性遺伝子ampをつける。
大学院生のときに基礎生物学研究所で遺伝子発現実験の講習会があり、そこで仕入れた手法をもとに、自分で発現ベクターをデザインしてlacZを発現させてX-Gal染色後に青い細胞を見た時の面白さといったらありませんでした。単純なACGT配列をつないで作った文字列を眺めても何を意味しているのかは見当がつきません。しかしその文字列を細胞が翻訳してタンパク質を作ったのです。すごくないですか。大学院時代はほとんどの時間をこの実験に費やし、ポスドク時代の大事な実験もこの手法で行いました。大学院時代にはグリア細胞特異的な遺伝子の転写制御の研究をしていました。アストロサイト特異的な遺伝子GFAPはアストロサイトの細胞株で、オリゴデンドロサイト特異的なMBP遺伝子はオリゴデンドロサイト様の細胞株でのみ作成した発現ベクターのプロモーターが働きました。このプロモーター配列に細胞特異性を出すDNAエレメントがあることはわかりました。しかし細胞が使っている遺伝子発現の特異性を出す文法の理解には一つの細胞特異的な遺伝子の発現をみるだけでは到底至りませんでした。

補足)
こんな駆け出しのころの研究の話を日本Cell Death学会に書きました。
http://jscd.org/pdf/e02_200801miura.pdf
学会のホームページでは細胞死研究に関わった先生方の面白い文章が読めます。
http://jscd.org/essay.html

生命現象から遺伝子までの解析方法は当時から長足の進歩を遂げ、今では私たちも気軽にRNA seqで遺伝子発現データをゲノムワイドにとれるようになりました。このACGT(ACGU)の表音文字データを眺めて細胞が使っている文法を理解する研究手法の開発が研究の鍵となりますし、既存の方法からでも断片的な解釈データから文法を知ることが可能かもしれません。この段階で日本語をベースに考えることで独特の味が出てくるのではないか思います。遺伝子クローニングや生化学の研究を得意とした日本の生命科学が、生命観を提示する研究分野でも面白い研究を出すには日本語を大切にすることだと思います。

「芸術家すなわち文学者、音楽家、画家たちは、哲学者や科学者ほどには言葉を信頼していないようにみえます」
武満徹 「音」と「言葉」、樹の鏡、草原の鏡 より

扱う現象が因果のはっきりした線形であれば言葉で現象を変換して伝える「科学」は有効です。ところが生命科学が非線形の現象を扱うようになってくると、どう捉えれば腑に落ちるのか、ということを示さなければならず、多分に感覚的なものを含みます。変換法(文法)がよくわからないAIが入ってきた生命科学は、言葉に信頼がおけなくなって、その行き場はこれまで期待されてきた因果関係に立脚した答えとは違ったものになっていくかもしれません。生命科学が科学であるためには文法を理解する姿勢をとり続ける必要があるでしょう。その一方で、原因分子を取る遺伝子クローニング、見えなかった分子を見るイメージング技術の開発などは、文字や単語を発掘する研究であり、要素を探求する「科学」であることに確実に立脚しています。ここいら辺を研究の主要な一次産業として動かすことが美味しい果実を育てるのに欠かせないと思います。




2020年標語


“写生”



「今年、還暦を迎えるボスの芸術家としての側面が全開に。 生命現象を、何度も何度も観察し「写生」する。生の姿を写し取る、はまさに遺伝子の転写。 写生した生データを解釈し、論文として表現する。生命科学の芸術家たれ。」




過去の標語一覧


Pasted Graphic安田のねこ